2019年05月19日更新
伊豆大島へ渡った初日は、最高峰の三原山(標高758m)へ登りました。
三原山の火孔が大きく口を開いている様子は、本当に圧巻でした。
そのときの様子はこちらです。
そして、2日目のこの日は、「泉津海岸線歩道」を歩いてみることにしました。
泉津海岸線歩道は、伊豆大島の東海岸をあるくコースで、泉津の二本松から行者トンネルまでの5.5kmのコースです。
平成16年12月には「美しい日本の歩きたくなるみち500選」としても選ばれているそうです。
地平線まで広がる太平洋を望むことができ、とても気持ちがよい道です。
泉津海岸線歩道 トレッキング概要
<トレッキングコース>泉津海岸線歩道(伊豆大島)
<とき>2018年01月
<メンバー>単独
<天気>晴れ
<ルート>
海のふるさと村→行者海岸トンネル→行者浜→大島海浜植物群落→潮吹→海岸遊歩道入り口
<行程>
06:30 海のふるさと村
06:40 行者海岸トンネル
06:45 行者浜
07:40 大島海浜植物群落
08:20 潮吹
08:30 海岸遊歩道入り口
コース詳細はこちらの資料を参照しました。
こちらもどうぞ。
https://www.oshima-navi.com/senzu/coastal_promenade.html
泉津海岸線歩道 トレッキング詳細
06:30 海のふるさと村
前日に泊まった「海のふるさと村」から出発です。
まだ日が昇っていないので、薄暗いです。
すぐに海沿いに出ます。
06:40 行者海岸トンネル
行者海岸トンネルの入り口です。
思ったより狭いです。
そして、長い。
電気が付いていてよかったです。
これ暗かったら、本当に怖かっただろうなと思います。
06:45 行者浜
長いトンネルを抜けると、前日の伊豆大島横断の終着点の行者浜に出ます。
今は、石が転がる浜だが、昔はきれいな砂浜だったようです。
写真ではよく分からないかもしれませんが、写真右の岩壁には道があって、その奥に「行者窟」と呼ばれる洞窟があります。
この洞窟は、島流しにされた「役の行者」が幽閉され、修行を命ぜられた場所と言い伝えられています。
「役の行者」に関しては、こちらの記事をどうぞ。
毎年6月15日に浜で行者祭りが行われていますが、洞窟に至る道は落石により危険なため立ち入り禁止となっています。
日が昇ってきました。
地平線の海から昇ってくる朝日を見るのは、いつぶりだろうと思います。
森の中が、オレンジ色に染まっていきます。
森の中を歩いていたと思うと、急に海が広がる場所に出ました。
色んな景色が楽しめるコースで、飽きません。
07:40 大島海浜植物群落
国の天然記念物にも指定されている「大島海浜植物群落」。
様々な植物が混生し、独特な景観をつくりあげています。
08:20 潮吹
潮吹とよばれる場所です。
写真中央から少し左にある岩肌に洞窟があって、その洞窟は高さ7メートル、幅約6メートルで、奥行きは相当深くなっているそうです。
その洞窟に波が打ち寄せられると、洞窟内の空気が圧縮されて、異様な音と共に潮が吹きあがります。
その高さは10メートルに達することもあるとか。
残念ながら、このときは見ることができませんでした。
波の高さとタイミングが合わないと起こらないようです。
この日も富士山がきれいに見えました。
08:30 海岸遊歩道入り口
海岸遊歩道入り口につきました。
ゴール!
2時間ほどのトレッキングでしたが、楽しかったです。
観光へ
船で帰るまでにまだ時間があったので、伊豆大島を少し回ってみました。
泉津の切り通し
海岸遊歩道入り口から、すぐ近くにある「泉津の切り通し」。
ネットで写真を見て、絶対に訪れたいと思っていた場所です。
大きな木が二本、岩肌に這うようにして根を張っていて、その間に細い階段が作られています。
どうしてこのような状況になったのでしょうか。
道を作ってから木が生えたのでしょうか。
木があるところに道を作ったのでしょうか。
階段を上がっていくと、別世界に通じる道のような感覚になります。
映画にでてきそうな不思議な空間でした。
写真を撮っていると、階段の上の方に何か動物が通りました。
よく見るとキョンでした(キョンは外来種で、動物園から逃げ出したものが繁殖し、今では島民の数よりも多いと言われています)。
筆島
火山活動と侵食でできた、海上の風変わりな岩の島です。
筆島(ふでしま)は、東京都大島町に属する小さな無人島。海に突き出た高さ30mほどの岩であり、その名のとおり筆先のような形をしている。伊豆大島の南東の海岸から、100mほどの沖に位置する。
筆島は、火山島である伊豆大島ができる以前、240万年から数十万年前に活動していた筆島火山の火道が侵食に耐え残った岩頸と呼ばれる地形である。
筆島 - Wikipedia
この岩の近くでサーフィンやっている人がいました。
サーフィンのスポットでもあるそうです。
波浮港
この高台から、波浮港全体が見渡せます。
1703年に発生した元禄関東地震の大津波によって、もともと湖だった波浮港が外海とつながりました。
現在は岡田港、元町港がメインの港となっているが、それより以前はこの波浮港が主要な港だったそうです。
湾の形が波の影響を受けにくく、利用しやすかったのだろうと思います。
高台から降りて、波浮港を歩いてみました。
ノスタルジックな町並みを抜けます。
一番奥に、「鵜飼商店」という店があって、ここでは揚げたてのコロッケをいただくことができます。
サクサクのコロッケを食べながら、波浮港をブラブラするのは何とも幸せです。
港屋旅館。
この旅館は、川端康成の「伊豆の踊子」の舞台となった場所です。
港屋旅館のあらまし
旧港屋旅館は、旧館が明治時代にそして新館が大正時代に建てられました。木造3階建ての建物は、現在はもちろんのこと当時においても大変貴重なものでした。その頃の宿泊客漁業関係者や観光客が中心で常に大変な賑わいを見せていました。夜ごとに宴の灯火が消えることはなく、その混雑を緩和するために階段が部屋の前後に設けられるなど、その賑わい振りは間取りにも現れています。
当館の看板より
「伊豆の踊子」の主人公カオルのモデルになったタミという人物で、タミとその家族は波浮の港で実際に生活をしていました。
そしてこの港屋旅館などで踊りを披露して日々のお金をかせいでいたのです。
伊豆大島は、古くからの観光地で、新婚旅行先として選ぶ人も多かったそうです。
明治時代には、川端康成などの文学者も多く訪れました。
旅館には人形が置かれていて、当時のにぎわいをうかがい知ることができます。
地層切断面
地層切断面は、通称「バームクーヘン」と呼ばれています。
たしかに、色や模様はまさにバームクーヘンそのものです。
火山灰が降り積もってこのような縞模様が出来上がったそうです。
大噴火の度ごとに、山頂火口から空中へ噴き上げられたスコリア(黒い軽石)や火山灰が降り積もって、みごとな地層の縞模様がつくられています。色の濃いガサガサした層が主にスコリアから成り、その上の褐色の層が空中で風化した火山灰です。この一組で単位層といい、一階の大噴火を示しています。
このような大噴火は、過去何万年もの間、平均数百回おきに起こってきており、この切断面には百数十の単位層があらわれています。
大島町 看板より
バームクーヘンの反対側には海が広がっていて、伊豆諸島が望めます。
中央の尖った島は「利島(りしま)」です。
伊豆諸島の他の島にも、行ってみたいです。
食堂「かあちゃん」
元町港から歩いてすぐの食堂「かあちゃん」。
店には生け簀があって、新鮮な魚介類を食べることができます。
おすすめは、この「磯ラーメン」です。
エビやサザエがそのまま入っていて、磯の香りが食欲をそそります。
今までに味わったことないラーメンだったけど、すごくおいしかったです。
大島町郷土資料館
最後に訪れたのは、大島町郷土資料館です。
大島の自然や文化について、詳しく学ぶことができます。
最初に訪れて、予備知識をつけてから島内を回るのもいいかもしれません。
資料館には、興味深い話がたくさんあります。
- 太平洋戦争4年目の昭和19年1月に軍用飛行場を建設するため、島民に工事命令が出された。夜が明けぬうちから出発し、手元が暗くなるまで働き、日当は男性4円50銭、女性3円。2000人くらいが1日中はたらき、中には80歳の老人もいた。トラクターが2台ほどとトロッコがあるだけで、もっぱら人海戦術。昭和19年8月に完成するも、戦時中に使用されることなく、むしろ空襲の目標とされた。翌年20年8月に終戦を迎える。
- 日本地図をつくった伊能忠敬は、伊豆諸島の測量をすることができなかった。500にわたる瀬戸内海の島々の測量を終えた後に、伊能忠敬は体調を崩し、伊豆諸島の測量は11人の弟子たちによって行われた。そして、伊能忠敬の死後3年後(1821年)にようやく全国地図が完成した。
- 伊豆大島は古くから島流しに使われた。役の行者、源為朝、おあたジュリア、竹田信玄の孫伸道、赤穂浪士の遺児などが伊豆に流された。日本書記には、675年大島への島流しの記述があり、1742年(寛保2年)には伊豆の七島全体が配流地に定められる。流罪は明治7年(八丈島)まで続いた。
- 太平洋戦争終戦後の1946年1月29日、GHQによって伊豆大島は沖縄と同様に、行政上、二本から切り離された。そこで、村の有力者による会議が開かれ、独立国家を想定した「暫定憲法」が採択された。しかし、3月22日にGHQの命令が修正され、伊豆大島は日本に復帰することとなる。わずか53日の独立国家となった。
- 下の写真は、島の女性の伝統的な服装。島の女性は「島娘」という意味で「アンコ」と呼ばれるが、元々の意味は「姉コ」で、自分より年齢が上の女性を呼ぶときに使っていた。
島の女性はかつて、頭の上に物を載せて運搬していたそうです。
娘たちは15、16歳ともなれば米1俵(60kg)を頭上で運べるようになって、ようやく一人間と言われたといいます。
というわけで、色んなものを頭上にのせた写真があったんだけど、これは衝撃。
もう載せれるもんは、全部載せたんで、最後はおじさん載せちゃいました。みたいな。
おじさんはおじさんで、載せられてますが何か?みたいな。
どういう経緯でこうなったのか知りたいものです。
最後に大きな謎を抱えたまま、帰りの船に乗るため、元町港へ向かいました。
帰りはこのジェット船に乗り込みます。
ジェット船は、ジェットエンジンで海水を吹き出し、その揚力で船全体が海面から浮き上がる仕組みです。
揺れが少なく、スピードは時速80kmで2時間も経たないうちに東京へと戻ってきました。
まとめ
今回は、伊豆大島に訪れました。
歩いたのは「三原山」と「泉津海岸線歩道」です。
三原山の大きな火口や、裏砂漠はとても東京都の光景とは思えません。
別の惑星にきたようで、地球の成り立ちや地球の息づかいを肌で感じることができました。
泉津海岸線歩道は、変化に富んだ気持ちのよいトレッキングコースになっています。
三原山では見ることのできない様々な植物の群落を楽しむことができます。
山旅だけでも十分楽しめるが、伊豆大島にはそれ以外にも見どころがいっぱいです。
「泉津の切り通し」や「地層切断面(通称:バームクーヘン)」は、ここ伊豆大島以外では中々見ることのできない光景で、非日常感を与えてくれました。
東京から意外と近くて、気軽に行けるのも魅力の1つだと思います。
週末に思い立って、ふらっといくことだって可能です。
1泊2日しかいなかったので、まだまだ伊豆大島の魅力を探し出せていないと思います。
今度来たときは、少しマニアックな場所を巡ってみたいです。