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奄美大島① 奄美パークで文化を学ぶ|「鶏飯みなとや」のご飯は最高

鹿児島県の奄美大島
奄美大島は、鹿児島と沖縄の中間に位置します。

 

 

今回の旅では、奄美大島の最高峰・湯湾岳(ゆわんだけ)をハイキングするためにやってきました。
希少な動植物や独特な文化が見られるということで、そのあたりも詳しくレポートしていきたいと思います。

 

この記事では、1日目に訪れた「鶏飯みなとや」「奄美パーク」「田中一村記念美術館」「奄美博物館」などを紹介していきます。

 

 

関西空港から出発です。

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今回はバニラエアで向かいます。
このときは3連休でしたが、片道15000円くらい。LCCはやっぱり安いです。

 

約2時間ほどで奄美空港に着きました。

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この日は12月末だったので、結構着込んでいったのですが、空港についた時点で暑い暑い。
気温は21℃。
日差しも強くて、すぐに服を脱ぎます。

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空港前でレンタカーを借ります。
スタッフの人いわく、この日は24℃まで上がるとか。

 

元祖鶏飯みなとや

奄美大島に行ったら、ぜひ食べたいのが「鶏飯」。
鶏飯は、鶏肉の炊き込みご飯で、もともと約400年前に地元の人が役人をもてなすときに作られる高級料理でした。
それが、昭和に入り、ふるさと料理として復活しました。

 

今回、行ったのは「元祖鶏飯みなとや」
奄美の鶏飯 元祖 みなとや

 

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「鶏飯料理は、今から約400年前、奄美薩摩藩支配下の頃、ここ赤木名で役人をもてなすために作られていたとてもぜいたくな料理だったと言われています。
当時のものは、鶏肉の炊き込みごはんで、庶民には口にすることができない高級料理だったようです。
昭和21年、当時は旅館だった『みなとや』の開業にあたり、初代館主・岩城キネがふるさと料理復活の研究の末、アレンジを加えて開発した料理の一品が、ごはんに具材をのせ、鶏スープをかけて食べる新しい鶏飯でした。」
元祖鶏飯みなとやHPより

 

いろんな具材をごはんにのせて、鶏で煮込んだスープをかけていただきます。
このスープが本当に絶品。
干したみかんの皮から、なんともいい香りが漂います。

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「元祖鶏飯みなとや」の近くを散歩していると、こんな小道を見つけました。

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小道を抜けると、きれいな海岸にでました。

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遠浅で透き通った海が広がります。

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気持ち良すぎて、しばらくぼーっとしていました。

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奄美パーク

次に寄ったのが「鹿児島県奄美パーク」。
奄美の自然、文化、歴史を展示品や映像で学ぶことができます。
鹿児島県奄美パーク

 

奄美大島は北緯27度くらいにあって、エジプトやインドなどと同じ緯度にあるそうです。
たしかに暑いわけですね。

 

奄美の伝統的な暮らしを再現したものです。

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これは、ソテツという植物の実を食べるために処理しているところです。

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ソテツは、奄美や沖縄の島々で食用として利用されています。
奄美では、このソテツが何度も飢餓を救ってきたといわれています。
しかし、かつて、ソテツばかり食べていた「ソテツ地獄」という時代がありました。

 

「ソテツ地獄
大正末期から昭和初期にかけての沖縄県の経済的窮状をさすことば。主食(サツマイモ・米)を確保することもできずソテツ(猛毒を含み、調理法を誤ると中毒死する)を常食とせざるをえないほどの苦境下にあったことからその名が生まれた。」
ソテツ地獄(そてつじごく)とは - コトバンク

 

瀬戸内町から移築した民家です。
縁側にすわる麦わら帽子のおじさんがなんとも良い味を出しています。

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田中一村記念美術館

田中一村記念美術館は、奄美の自然を描き続けた田中一村の作品を展示している美術館です。

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田中一村(1908-1977)
明治41(1908)年、栃木県に生まれる、幼少の頃から画才を発揮し、若くして南画家としいて知られる。18歳、東京美術学校に入学するが2カ月で中退。以降、中央画壇と一線を画し、50歳を過ぎて独り奄美へ移住。紬工場で染色工として働きながら絵を描き続けた。東京、千葉を経て、この奄美の地で亜熱帯の鳥や自然を描き日本画の新境地を開いたが、作品を発表することなく69歳の生涯を終えた。」
田中一村記念美術館パンフレットより

 

田中一村記念美術館では、田中一村の「東京時代」、「千葉時代」、「奄美時代」に分けて展示されています。
中は撮影禁止だったので、写真をのせられないのが残念です。

 

幼少期から、もう絵がめちゃくちゃうまい。
「東京時代」、「千葉時代」、「奄美時代」と絵のタッチが変わっていくのがおもしろいです。
これは、本当にひとりの人が描いたのかという気になってきます。

 

奄美時代」で色彩が鮮やかになり、一気に花開いた印象があります。
田中一村は、「日本のゴーギャン」とも評されています。

 

美術館へ行く前は、田中一村のことは全然知らなかったのですが、美術館から出たときには大ファンになっていました。
おもわず、下の2冊を買ってしまいました。

 

こちらは、多くの作品がカラーで年代ごとに掲載されています。
絵や田中一村の生涯についても説明が豊富です。

もっと知りたい田中一村―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

もっと知りたい田中一村―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

 

 

田中一村がどのように生きたかを詳しく知りたい人はこちらの本がおすすめです。

日本のゴーギャン 田中一村伝 (小学館文庫)

日本のゴーギャン 田中一村伝 (小学館文庫)

 

 

奄美市奄美博物館

次に、奄美市奄美博物館を訪れました。
奄美博物館紹介/鹿児島県奄美市

 

ここでも、奄美の歴史や文化、自然について学ぶことができます。
館内の写真は撮れないので、写真はありません。

 

奄美は、鹿児島と沖縄の中間に位置するため、その大和と琉球から統治され強い影響を受けた歴史があります。
すごくおおざっぱに言うと、次のような時代の流れになります。
参考:奄美の歴史と文化

 

先史時代

大和朝廷直轄地(奄美世=アマンユ)

豪族が支配(奄美按司世=アジユ)

平家武将統治

琉球王朝統治(那覇世=ナハユ)

薩摩藩支配(大和世=ヤマトユ)

鹿児島県の行政下となる
1946年~1952年 米軍政府下(GHQ)
1953年 本土復帰

 

戦後、奄美は米軍政府下に置かれます。
GHQ統治下にあったのは、沖縄だけだと思っていたのは、これは意外でした。
ちなみに、この時代、奄美では米軍が交付した独自の紙幣を使用していたそうです。

 

当初、沖縄と奄美は一丸となって日本への復帰を目指そうという運動が起こったのですが、最終的に断念します。
それは、奄美大島ではほぼ全ての人々が祖国への復帰を望んでいたのに対し、沖縄では、沖縄が日本から独立することを望む人もいて、意思が統一されなかったためと言われています。
そして、奄美大島はいち早く日本に復帰するのです。

 

奄美市奄美博物館では、展示物も多く、より詳しい説明がされているので、気になる方は立ち寄ってみてください。

 

奄美市奄美博物館の外には、奄美の昔ながらの民家が展示されています。

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これは、瀬戸内町菅鈍に残っていた眞島家の民家を移築したものです。

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明治27・28年頃に建築されました。

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眞島家の場合、風呂はもともとありませんでしたが、昭和初期に五右衛門風呂が設置されました。
また、井戸もつくられましたが、海岸に近かったため、飲料には適さなかったといわれています。

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奄美市奄美博物館の前には、広い芝生が広がっています。
ベンチにジュースを飲みながら、休憩。
12月なのに、17時過ぎても明るくて、子どもたちが半そでで走り回っているのを見ると、本当に同じ日本なのかと不思議な気持ちになります。

 

居酒屋脇田丸

ホテルに着いたので、荷物を降ろし、ごはんへ。
奄美大島で一番の歓楽街「やんご通り」。

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「居酒屋 脇田丸」へ来ました。
居酒屋 脇田丸 │ 鹿児島県奄美大島奄美市の居酒屋

 

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地元の食材をふんだんに使った料理がいっぱいあります。

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奄美ティラダとよばれる貝。

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こんな貝初めて食べました。
奄美で食べられる珍味ですが、コリコリしておいしかったです。

 

次は、奄美大島の最高峰・湯湾岳をハイキングします。

www.gojikitakubu.com