鹿児島県は奄美大島にやってきました。
西郷隆盛は、じつは奄美大島に3年ほど住んでいた時期があり、島には妻もいました。
3日目最終日は、西郷隆盛の奄美大島での暮らしに迫ってみることにしました。
そして、奄美大島のパワースポットと呼ばれる「ハートロック」にも訪れてみます。
1日目・2日目の様子はこちらの記事から。
- アマミノクロウサギの生態を知る「奄美野生生物保護センター」
- 奄美の独特な高倉が並ぶ「大和浜の群倉(ぼれぐら)」
- 西郷隆盛の奄美での暮らしを知れる、龍郷町生涯学習センター「りゅうがく館」
- 西郷さんが妻・愛加那と子どものために建てた家、「西郷南洲謫居(たっきょ)跡」
- 伊勢えびがたまらない「漁師料理 番屋」
- 奄美大島のパワースポット「ハートロック」
- まとめ
アマミノクロウサギの生態を知る「奄美野生生物保護センター」
この日、最初に訪れたのは「奄美野生生物保護センター」。
「奄美野生生物保護センターは、奄美群島の生きものや自然を保護するために設置された環境省の施設です。
(中略)
アマミノクロウサギなどの希少な野生生物に関する調査・研究、外来種であるマングースの防除事業、センターでの展示や自然観察会などを通じた普及啓発、「奄美大島,徳之島,沖縄島北部及び西表島」の世界自然遺産に向けた取組などを総合的に行う拠点となっています。」
奄美野生生物保護センター
アマミノクロウサギ見れるのかなあと思って立ち寄ったのですが、本物には会えませんでした。
かわりに、はく製が置かれています。
黒くて耳がちいさく、ずんぐりむっくりした体形ですね。
奄美野生生物保護センターで学んだことを簡単にまとめてみます。
- もともと、奄美群島を含む琉球列島はユーラシア大陸の一部で、ユーラシア大陸と陸続きだった。約1200万年前~約200万年前にプレートが沈み込み、琉球列島が生まれた。
- アマミノクロウサギは、ほかのウサギのようにぴょんぴょん飛び跳ねて移動しない。
- アマミノクロウサギは自分の巣穴とは別の場所に子ども用の巣穴をつくり、授乳の時だけ子どもの巣穴に行き、授乳が終わると巣穴の穴をふさぎ、外敵から守る。
- ノイヌやノネコ、マングースなどの外来種による被害が広がっている。
ノイヌやノネコ、マングースなどの外来種による被害だけでなく、交通事故などに遭う個体も多いみたいです。
ちなみに、奄美大島では、外来種が数多く定着していて、ノイヌやノネコのほかにノヤギ(野生化したヤギ)などもいるそうです。
野生化したヤギってすごいですよね。
こんな風にいろんな生物の情報が展示されています。
イボイモリ?なんか見たことある…と思ったら、前日に湯湾岳に登ったときに出会っていました。
危険を感じると肋骨を広げ、体を大きく見せるというユニークな技をもったイモリです。
奄美の独特な高倉が並ぶ「大和浜の群倉(ぼれぐら)」
奄美には、独特な形をした高倉と呼ばれる倉が古くから伝わっています。
「大和浜の群倉(ぼれぐら)」という高倉が立ち並ぶエリアがあるので、少し寄ってみることにしました。
近くの看板には次のようなことが書かれていました。
- 高倉は主に穀物を貯蔵する倉。
- 奄美独特の建築物で、金釘を1本も使用してない。
- 柱はかんなで削り上げているため、ネズミが登ることができない。
- 風通しがよく「貯蔵物」の保ちがよい。
- 室町時代、南方と交流の盛んな頃に南洋から琉球を経て伝わった。八丈島にも奄美とよく似た高倉が現存しており、黒潮文化圏として南洋から伝来したものと思われる。
藁ぶきの屋根で簡素な造りをしています。
昭和30年頃の風景。
あぜ道を歩く人々の姿が時代を感じさせます。
この入り口にはしごなどをかけて、中にものを運んでいたのでしょうか。
実際に八丈島にいったときに、とても似たつくりの高倉を見ました。
黒潮に乗って、遥か南洋から琉球、奄美、八丈島と北上していった人々がいて彼らが文化を伝えたのかと考えるとおもしろいですね。
西郷隆盛の奄美での暮らしを知れる、龍郷町生涯学習センター「りゅうがく館」
西郷隆盛は、奄美大島に3年ほど住んでいた時期があり、島には妻と子どももいました。
龍郷町生涯学習センター「りゅうがく館」では、西郷隆盛の半生と奄美大島での暮らしについて、詳しく学ぶことができます。
りゅうがく館|鹿児島県龍郷町
西郷さんの人柄や生き方、苦悩などが記されていて、初めて知ることも多くありました。
歴史の教科書で習う西郷隆盛の情報はほんの一部だったんだと感じました。
ここで、西郷さんの年表を簡単に紹介しましょう。
参考:「西郷どんが生きた道。 in 奄美大島」 龍郷町「西郷どん」プロモーション実行委員会作成
1828年 0歳 薩摩藩の下級武士の長男として生まれる。
1844年 16歳 郡方書役助となる。
1851年 23歳 島津斉彬が11代藩主となる。
1852年 24歳 スガという女性と結婚する。
1853年 25歳 ペリー来航。
1854年 26歳 島津斉彬に従い江戸へ赴く。スガが実家に引き取られ離婚。
1858年 30歳 月照和尚と入水するも、西郷だけ蘇生し奄美へ潜居。
1859年 31歳 愛加那と出会い、結婚。
1860年 32歳 桜田門外の変。
1861年 33歳 長男・菊次郎が誕生。
1862年 34歳 徳之島へ遠島となる。長女・菊草が誕生。沖永良部島へ遠島となる。
1864年 36歳 赦免され、沖永良部島を出帆する。第一次長州征伐に随行。
1865年 37歳 岩川イトと結婚。
1866年 38歳 薩長同盟締結。
1867年 39歳 大政奉還。
1868年 40歳 鳥羽伏見の戦いで勝利。江戸城無血開城。
1871年 43歳 政府に出仕。
1872年 44歳 徴兵令実施。陸軍大将となる。
1873年 45歳 参議・近衛都督を辞職し、鹿児島に帰郷。
1874年 46歳 私学校設立。
1877年 49歳 西南戦争。鹿児島城山で自決。
まずは、西郷さんが3年もの間、奄美大島で暮らしていたというのが驚きですね。
そして、なんと3回も結婚しているというからさらに驚きです。
薩摩藩と朝廷工作に関わっていた月照和尚が幕府から命を狙われていることをしった西郷さんは、月照和尚をかくまおうとするのですが、島津斉彬の急死で状況が一変します。
西郷さんは和尚と海に身を投じるのですが、西郷さんだけが生き残ります。
その後、幕府から身を隠すため、名前を変えて奄美大島で暮らし始めたというわけです。
奄美へ来た当初は、今後政治に関わることはできないという思いで、西郷さんは荒れていたそうです。
奇声をあげたり、木刀をふりまわしたりして、島の人からは変人と呼ばれていたようです。
そんな西郷さんですが、少しずつ島の暮らしになれはじめ、米を分け与えたり、子どもに学問を教えたりして島の人々から信頼されていくようになります。
そして、島の有力者の娘・愛加那と結婚し、菊次郎と菊草をもうけます。
なお、息子の菊次郎は西郷さんと一緒に西南戦争に加わり、台湾県支庁長まで務めた人物です。
奄美大島で過ごした後、徳之島、沖永良部島まで流された西郷さんですが、その後の活躍はみなさんご存じの通りです。
2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」の放映がちょうど終わった時期で、ドラマに関する資料が展示されていました。
西郷さんが妻・愛加那と子どものために建てた家、「西郷南洲謫居(たっきょ)跡」
龍郷町には、西郷さんが妻・愛加那と子どもたちのために建てた家があります。
西郷さんが奄美大島を歩いて、台風などの被害が少ない場所を選んだのだとか。
西郷南洲謫居(たっきょ)跡
西郷南洲謫居跡 あまみ大島観光物産連盟運営 | のんびり奄美
西郷さんと愛加那が過ごしたのはわずか3年でした。
そのころは藩の決まりで、島の女性を鹿児島に連れていくことはできませんでした。
西郷さんは愛加那と子どものために家を建て、畑を残し、奄美の知人に愛加那と子どもを頼む手紙を何度も送ります。
愛加那は、西郷さんがいずれ島を出ていき会えなくなることを分かっていたのだと思います。
西郷さんの髪を整えるときに、くしについた髪の毛を大事にとっていたそうです。
さらに、2人のこども菊次郎と菊草は、鹿児島の西郷本家に引き取られたため、愛加那はひとりでこの地で暮らすこととなります。
大雨の中、畑仕事へいき、そこで倒れます。
享年は66歳でした。
一緒に暮らしていた家族が、時代や政治に翻弄され、離れ離れになってしまいました。
その事実を受け入れながら、遠く離れた島から夫や子どものことを想う愛加那の気持ちを考えると、せつないですね。
伊勢えびがたまらない「漁師料理 番屋」
たまたま見つけたお店「漁師料理 番屋」。
お昼の時間なので、ここで食べることにします。
場所はこちら。
龍郷町で40年ほど続く老舗のお店だそうです。
奄美でとれた海の幸を手ごろな価格で提供してくれるお店です。
頼んだのは「伊勢えび」の定食。
真っ赤な伊勢えびのぷりぷりした身は最高においしかったです。
店にある大きないけすには、伊勢えびをはじめたくさんの魚介類がいます。
「ニシキエビ」というのでしょうか。
とっても大きくてカラフルなエビがいて、びっくりしました。
奄美大島のパワースポット「ハートロック」
最後に、奄美大島のパワースポット「ハートロック」に立ち寄ります。
場所はここです。
ハートロックは、文字通りハートの形をした岩で、海岸沿いにあります。
海岸に出る前にこの森をとおりすぎていきます。
歩きやすい道が続いていて、奄美らしい森です。
この道で、NHK大河ドラマ「西郷どん」の撮影も行われたそうです。
海岸に出ました。
左側はこんな感じ。
右側はこんな感じ。
あの奥の岩場に「ハートロック」があるようです。
一番左の奥のくぼみがハートロックとのことなのですが、それよりこの無数のくぼみは何でしょうか。
1つ1つがバスタブみたいになっていて面白い形をしています。
ハートロックをもっと間近でみたい人は干潮時間を調べていくのがいいそうです。
まとめ
今回は、鹿児島県の奄美大島に2泊3日で訪れました。
1日目は、奄美パークで島の文化・自然を学び、「田中一村記念美術館」で一村の絵を楽しみました。
世間から評価されることなくこの世を去った一村の力強い絵は、一目見る価値があると思います。
「鶏飯みなとや」の鶏飯は本当においしかったです。
これはぜひ奄美を訪れた際は食べてほしいです。
2日目は、奄美大島のマングローブ原生林カヌー体験と、湯湾岳登山をして自然と触れ合いました。
イボイモリやユワンツチトリモチなどの本州では見られない希少な動植物に出会うことができました。
最終日3日目は、西郷隆盛の奄美での生活に迫りました。
西郷さんが、奄美大島に3年ほど住んでいた時期があり、島には妻・愛加那と子もいたという事実をこのときはじめて知りました。
ちょうど、NHK大河ドラマ「西郷どん」を放映していた時期だったので、知っている方も多くいらっしゃるかもしれません。
西郷さんが愛加那と子どもたちと過ごした家を訪れたら、きっと西郷さんを身近に感じられると思います。
最後は、奄美大島のパワースポット「ハートロック」にも訪れました。
今回は、奄美大島の観光を思いきり楽しむ旅になりました。
今、奄美では「世界自然遺産 奄美トレイル」という1本の長い自然歩道をつなげる構想があって、それに向けて準備がなされています。
次来たときは、この「世界自然遺産 奄美トレイル」を歩いて、奄美の自然を存分に味わいたいと思います。