この記事では、ハイキング初心者の私がテントを背負って歩くようになったわけをお話ししようと思います。
- ハイキングを始めるようになったきっかけの「金華山」
- 最悪だった伊吹山ハイキング
- ハイキングにのめりこんでいく
- 私の好きなハイキングとは
- これまでに行ったハイキング一覧
- 今やりたいのは「島×ロングトレイル」
- ウルトラライトハイキングにも挑戦したい
ハイキングを始めるようになったきっかけの「金華山」
私が一番初めに登った山は、確か「金華山」だったと思います。
金華山は岐阜市の真ん中にそびえる山で、以前は稲葉山(いなばやま)とも呼ばれていました。
岐阜金華山、信長が天下統一を目指した絶景を二つの「展望台」から楽しもう! | 岐阜県 | LINEトラベルjp 旅行ガイド
頂上には、岐阜城というお城が建っています。
このお城は斎藤道三という武将が治めていて、後に織田信長が攻略するという、歴史の舞台ともなった場所です
(ちなみに、斎藤道三は、名もない境遇から僧侶、油商人を経て、武将になったという変わった経歴をもちます)。
岐阜で暮らすようになった私は、金華山のそばを通るたびに、この岐阜城を下から眺めていました。
そして、ふと「あそこに行きたいなあ」と思うようになったのです。
調べてみると、ふもとから頂上まで登山道がついていて、歩いて登ることができるというので、すぐに友だちを誘って行ってみることにしました。
選んだのは馬の背コース。
最短距離のコースという理由だけで選んだ記憶があります。
「馬の背」という名の通り、細い尾根で岩場がたくさんあるコースでした。
ハイキングなんぞしたこともなかったので、普段着のまま登り、ハイペースで汗だくになりながら登りました。
そして、30分ほどであっという間に頂上に着きました。
金華山の標高はわずか329m。
しかし、ほぼ独立峰のようになっているため、頂上に立つと360度視界が広がります。
濃尾平野に、長良川がゆったり流れる様子を見ながら、身体にびゅんと風が通っていく感覚が私にとっては衝撃的に気持ちよかったのです。
これが、私とハイキングの出会いでした。
最悪だった伊吹山ハイキング
それから、金華山は何度も登りました。
色んな季節に、色んなルートを登って、一つの山でも楽しみ方は無数にあるんだなと感じました。
そのうち、他の山も気になり始めます。
「家の窓から見えるあの山の頂上って、どうなってるのかな?」
「どんな山にも登山道ってあるのかな?」
そして、しばらくして、比較的近くて人気の山があると聞いたので、そこへ行ってみることにしました。
それが、「伊吹山(いぶきやま)」でした。
岐阜と滋賀の県境にある、標高1377mの山。
伊吹山は薬草の宝庫として知られ、日本百名山のひとつとしても数えられています。
最短20分で標高1,300m級の頂上へ!琵琶湖の絶景を見下ろす伊吹山お手軽散策│観光・旅行ガイド - ぐるたび
金華山よりもずっと標高が高いので、すこし準備が必要だろうと考え、登山をやったことあるという人に持ち物を聞くことにしました。
持ち物を一通り教えてくれて、彼は最後に笑顔で「ジーンズで登るのがいいですよ。」とさわやかに言い放ちました。
登山をしていたら分かってもらえると思いますが、ジーンズほど登山に向いていないものはありません。
生地が厚いので足が上げにくいし、汗や水分が乾きにくいのです。
10年以上経ちますが、彼がなぜそんなことを言ったのかいまだにこわくて聞けません。
純粋な私は彼の言葉を信じて、ジーンズで伊吹山に向かいます。
しかも、スキニーのぴちぴちジーンズです(当時はそれが流行っていたのです)。
開始30分で異変に気付きます。
汗でジーンズがはりついて、足があがらないのです。
足を上げるのが一苦労なので、最終的にロボットダンスのように手と足を同時に出すスタイルに決まりました。
ようやく、頂上までついて帰りは楽だろうと考えていたのですが、まだ悲劇は続きます。
私はスニーカーを履いてきていたのですが、よりよってスケボー用みたいな、重くて底がつるつるのものだったのです。
伊吹山は砂利の斜面を歩く場面があるのですが、これがすべるすべる。
ふもとに着いたころには、服は泥だらけだし、膝はわらってるし、ジーンズ張り付いてるしで、一刻も早く帰って着替えたいと思ったのを覚えています。
そんなこんなで、伊吹山ハイキングはいい思い出ではなかったのですが、なぜかハイキングをやめようとは思いませんでした。
それは、多分くやしかったからだと思います。
装備さえきちんと整っていれば、伊吹山は最高の山のはずだと思ったからです。
逆に言えば、装備の質で、ハイキングの楽しさは大きく変わってくると実感しました。
ハイキングにのめりこんでいく
伊吹山の経験をもとに、私は登山に必要な最低限の装備を買い始めます。
と言っても、貧乏学生の私の財力で買えるものは限られています。
財布とにらめっこしながら、最低限のスペックを備えたハイキングシューズとレインウエア、ガスストーブを買いました。
それから、ネットや本で情報を集めながら近所の山を登りはじめます。
友だちとぺちゃくちゃ話しながら、山の中でゆっくり過ごすのは、最高に楽しかったです。
就職してからも、時折山を歩いていました。
それまで、ずっと日帰りハイキングをしていたのですが、少しずつ物足りなくなってきていました。
日帰りハイキングではどうしても行動が規制されてしまい、歩ける範囲が狭くなってしまいます。
車で行った場合は、日中に同じ場所にもどらないといけないのが、不自由に感じていました。
この山の頂上から向こうの山の頂上まで、歩けたら楽しいだろうな。
山や森のなかで一晩過ごすのは、どんな気分だろう。
衣食住を背負うっていうのは、一番自由なかたちなんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら山を歩くうちに、次第にテント泊にあこがれがでてきます。
しかし、そのときの私はすぐに行動に移せませんでした。
今までこれという趣味を持たなかった私は、なにかにのめりこむということがほとんどなかったのです。
そして、テント泊の装備をすべてそろえるためには、かなりの費用がかかります。
一通り道具をそろえても、続かなかかったら?
そう思うとなかなか踏み出せない時期がありました。
しばらくして、私は会社で仕事のやりがいや人間関係に悩み、かなり行き詰ってしまいます。
そのころは、平日は会社で消耗し、休日はだらだらしていたらあっという間に終わり、また月曜がくるという感覚でした。
そんな日々がつづくうちに、何かを変えたいと強く思い始めたのです。
それならば、自分の好きなことに思い切って飛び込んで、この日常を少しでも変えていこうと決めました。
私はすぐにテントを買いにいき、テント泊に必要な道具一式をそろえました。
初めていったテント泊は実は最悪でした。
最初から最後まで大量のアブがまとわりついてきて、身体中さされまくり。
少しでも止まるとアブの大群に襲われるので、手で払いながら常に歩き続けていました。
しかも、登山道が結構な悪路です。
初心者のため、歩くペースもよく分からず、ハイペースで歩いたため、こむら返りを起こしてしまいます。
やっとの思いでキャンプ場にたどり着き、なんとかテントを設置し、なかに滑り込みます。
しかし、テントの扱いをよく知らないせいで、換気がうまくできず、男二人の灼熱地獄。
本当になにやってんだと思われると思いますが、最初のテント泊はこんな感じでした。
そのときは、もう二度と行かないと思ったのですが、せっかく買ったのでもう少しだけ挑戦してみることにしました。
その次に行った山で、初めて満天の星空というものを見ました。
頭上にすうっと一本天の川が走っていて、その周りを無数の星が輝いています。
そして、朝、テントから出ると、朝日が刻一刻と色を変えながら空を染めていく様子を見ることができました。
そのとき、ようやくテント泊っていいかもと思えたのです。
それから、少しずつ情報を集めて、装備について学びながら、テントを担いでいろんな山へ行くようになりました。
長い時間、自然の中に身を置く楽しさが少しずつ分かるようになってきました。
私の好きなハイキングとは
様々なハイキングをするうちに、自分の好きなハイキングのスタイルというものが少しずつ見え始めました。
私の好きなハイキングスタイルは、ずばり「ロングトレイル」と「島ハイキング」です。
まずは「ロングトレイル」から説明しましょう。
「ロングトレイルとは、「歩く旅」を楽しむために造られた道のことです。登頂を目的とする登山とは異なり、登山道やハイキング道、自然散策路、里山のあぜ道、ときには車道などを歩きながら、その地域の自然や歴史、文化に触れることができるのがロングトレイルです。」
特定非営利活動法人 日本ロングトレイル協会 - Japan Long Trail Association
ロングトレイルで印象深かったのは、山陰海岸ジオパークトレイル(鳥取県)です。
全長40kmにわたる距離を2日間にわけて歩きました。
奇妙な形の岩がある海岸線を歩くコースから、山の中や砂丘を歩くコースと実に変化に富んだ旅でした。
特に標高が高いわけでもなく、地元の人が散歩で歩くような道もたくさん含まれているのですが、私にとってはなぜかそれがすごく楽しかったのです。
なぜ楽しかったのか。
その理由は次の通りです。
- 長い時間をかけて、長い距離を歩くことで、その土地にゆっくり溶け込んでいく感覚があった。
- 登山道だけでなくハイキング道やあぜ道、車道など変化に富んだ道をいくつも体験できる。
- 山の頂上に立つという目的から解放され、スタートからゴールまでの道中をずっと楽しむことができた。
それから、すっかり「ロングトレイル」のとりこになってしまったわけです。
もう1つ私の好きなハイキングスタイルは「島ハイキング」です。
島ハイキングにはまったきっかけは、小豆島です。
小豆島はハイキングや登山のルートが結構あって、いろんな楽しみ方ができる島です。
その最高峰・星ケ城山(ほしがじょうやま)に登ったのですが、それまでのハイキングで味わったことのない新鮮な感覚がありました。
まず、島にわたるのに船に乗むのですが、ハイキングするのに船に乗るというのが初めてでワクワクしたのを覚えています。
それほど標高が高い山ではないのですが、頂上に立ったときは眼下に海が広がるため、高度感と開放感がありました。
また、小豆島には島内の八十八か所があり、個性的な寺院がたくさん見られます。
それから、色んな島に渡るようになりました。
どの島も実に個性的で、生態系や文化が全く異なります。
北海道から沖縄まで行くと、本当に同じ日本なんだろうかと思えてきます。
島特有の文化に触れることができるのも、島ハイキングの楽しさの一つだと思います。
島ハイキングの魅力については、こちらの記事をご覧ください。
これまでに行ったハイキング一覧
それでは、今まで行ったハイキングについて、代表的なものを紹介していきます。
はじめは近場の山が多かったのですが、今では北海道から沖縄まで日本各地の自然を歩いています。
ロングトレイル
六甲全山縦走(兵庫県)
島ハイキング
球島山(奥尻島)
フットパスDコース(奥尻島)
安満岳(平戸島)
湯湾岳(奄美大島)
阿島山・城ノ山(栗島)
野底岳(石垣島)
八丈富士(八丈島)
心教山・王頭山(塩飽広島)
その他のハイキング
氷ノ山(兵庫県)
剣山(徳島県)
大杉谷渓谷(奈良県)
今やりたいのは「島×ロングトレイル」
今やりたいのは、ずばり「島×ロングトレイル」。
「ロングトレイル」と「島ハイキング」の楽しさを知ってしまった私は、それならば島でロングトレイルをしようと思いつきました。
最初にトライしたのは礼文島です。
島の北端から南端までの約40kmを2日で歩きました。
「花の浮島」という愛称がついている通り、花が咲き乱れている島です。
ハイキングコースも整備されていて歩きやすく、何より景色が息を飲むほど美しかったのです。
礼文島ハイキングについても近いうちに、レポートしようと思います。
南端まで歩き切ったときは、島と一体になれた気がして充足感に包まれました。
自分がやりたかったのは、やっぱりこんなスタイルなんだなとぼんやり考えたのを覚えています。
礼文島の体験を経て、今は全国各地の島で、ロングトレイルができる場所がないか探しているところです。
いくつか面白そうな島を見つけたので、また情報を共有していきたいと思います。
ウルトラライトハイキングにも挑戦したい
最後にもう一つ、挑戦していることがあります。
それは「ウルトラライトハイキング」です。
実は先ほど紹介した礼文島ハイキングで、私は一つ気付いてしまったことがあるのです。
「重い荷物を持って歩くのしんどい。」
衣食住をすべて1つのバッグパックに詰め込んで、「これこそが自由だ!」とか言いながら、意気揚々と出発したのはいいものの、重いのです。
肩に食い込む重さの分だけ、心も少し沈むのです。
「いやいや、この重さを楽しんでこそハイキングじゃないか。」と自分を騙しながら歩こうとしたのですが、やっぱり無理。
バスで宿泊予定のキャンプ場に向かい、荷物を置いてから、出発地に向かうという愚行に出てしまったのです。
それから、私はいろいろ悩みました。
すべての荷物を背負って、自由気ままに歩きたい。
でも重いのはいや。
そう思って、調べていくと「ウルトラライトハイキング」という概念に出会いました。
アメリカには数千キロに及ぶロングトレイルが存在します。
そのような長いトレイルを歩くハイカーによって生み出された手法が「ウルトラライトハイキング」です。
「スルーハイカーたちは、彼らの目的であり喜びでもある『歩く』ということに、装備や方法をシンプルに絞り込みます。そのために最も効果的な手段が『装備の徹底的な軽量化』だったのです。ウルトラライトハイキングのベースにあるのは『少ない負担で』『長い距離と時間を』『歩き続ける』ことです。」
土屋智哉, 『ウルトラライトハイキング』, 株式会社山と溪谷社, 2017年, p.17.
この「ウルトラライトハイキング」の手法を用いれば、私の旅はもっと自由で楽しいものになるだろうと直感的に感じたのです。
そして、「自然とつながる感覚を得ること」を重視しているところにも、すごく共感しました。
そういうわけで、少ない負担で歩き続けられる道具とは何か?自然とつながるとはどういうことか?を考えながら、道具選びを進めているところです。