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隠岐島後③ 隠岐の島を観光!玉若酢命神社の八百杉に不思議な伝説が

隠岐島後3日目です。
1日目は、高田山へ。

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2日目は、大満寺山へ登りました。

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2つの山を制覇したので、3日目は、隠岐の島を観光することにします。

 

 

浄土ヶ浦(じょうどがうら)海岸

 

まずは、浄土ヶ浦海岸。
この日は、残念ながら朝から雨です。

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浄土ヶ浦は、大昔、川が流れ込む場所で、川の流路に沿って、溶岩が流れ冷え固まりました。
冷え固まった溶岩は固かったため、このような尖った独特の地形を生み出したのです。

 

散策してみます。
きのこが生えていました。

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隠岐は少し森へ入ると、豊かな自然が広がっています。

 

すこし見晴らしのいい場所に出ました。

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気持ちのよい遊歩道が続いています。

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この浄土ヶ浦海岸、実は一休和尚と深い関係があるのです。
「あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。」の一休さんです。
この地に訪れた一休さんが、まるで極楽浄土のようだと歌を謳ったのが地名の由来だとか。

 

薄い層が何重にも重なっていますね。

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約2600万年前、ここは、湖の底でした。
湖の底には、砂の粗さによって、異なる層が何重にも重なっていたため、このような模様ができあがったそうです。
隠岐へ来ると、太古からの地球の活動を肌で感じることができます。

 

白島崎展望台

 

白島崎展望台は、島後の北にある展望台です。
展望台にいく道には、このような標識が。

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隠岐に限らず、離島では、このような標識やポスターをよく目にします。
「天気のいい日は、向こうの国が見えるよ」、なんてエピソードを耳にすることもあります。
普段国境について意識することは少ないのですが、離島にくると、「国境」というものについて考える場面が多くあります。
島を巡るようになってから、「国境」とか「領土問題」について、調べるようになりました。
興味のある方は、こちらの本をどうぞ。
マンガなので読みやすいと思います。 

 

マンガ 尖閣・竹島・北方領土 知らなきゃヤバい国境問題

マンガ 尖閣・竹島・北方領土 知らなきゃヤバい国境問題

 

 

白島崎展望台。
天気が良くないですが、見晴らしのよい場所です。

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うっすらと遊歩道が見えます。
先の方まで歩いていけるみたいです。

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奥の岩が白くて、手前の岩が黒いのが分かりますか?
この場所は2種類の岩でできています。
白い岩は約550万年前の火山岩(粗面岩)、黒い岩は約280万年前の火山岩玄武岩)です。

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白い岩(粗面岩)は、強い偏西風の影響で西側から激しく削られています。
一方、黒い岩(玄武岩)は、西に比べて波が少し弱いため、少しずつ削られてたくさんの島ができています。

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「そば工房 おみ」

 

ここは、前日宿泊した「ジオリゾートシンフォニー」のオーナーの方が薦めてくださったお蕎麦屋さん。
少し山の方へ入ると、道の脇に現れるお店です。

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お蕎麦の見た目はシンプルですが、実はそば粉100%で作っているのだそうです。
普通のそばは、つなぎとして小麦粉を加えているのですが、ここはそば粉だけで作っているとのこと。

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つなぎが入っていないので、食べている途中から切れてしまうのですが、そばの素朴な風味を味わうことのできる数少ないお店だと思います。

 

五箇創生館・隠岐郷土館

 

隠岐島後の歴史を知ることができる「五箇創生館」と「隠岐郷土館」。
2つとも近くにあるので、両方寄ることをおすすめします。
「五箇創生館」も、「隠岐郷土館」もいずれも隠岐の文化をまとめた資料館です。

 

まずは「五箇創生館」。
五箇創生館/隠岐島を観るならビーウェーブの隠岐旅行

 

隠岐の島の「牛突き(うしつき)」は800年以上の歴史があります。
隠岐に流され、失意の中の後鳥羽上皇を励ますために始まったのが起源とも言われています。

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隣接する水若酢神社の境内に生えていた松の巨木。
300年以上かけて独特な形をつくりあげました。

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「五箇創生館」では、古典相撲について、詳しく知ることができます。
隠岐では古くから、相撲が盛んに行われてきました。
現代でもその流れは続いていて、神社の遷宮や病院の建設などのお祝いごとに合わせて相撲大会が開かれています。
各地域から力士が選ばれ、それぞれの地域の威信をかけて闘います。
後から地元の人に聞いた話では、最高位は大関で、大関に選ばれる人は相撲が強いのはもちろん、りっぱな人格も持ち合わせていなければならないとのこと。

 

五箇創生館での映像を見ただけですが、その盛り上がり方がすごいのです。
YouTubeの映像があるので、参考にしてください。


隠岐古典相撲(後編)

 

応援する人は力士の後ろから大量の塩をまきます。
そして、負けたときは、大の大人が人目をはばからずに泣くシーンもありました。
それほど、この古典相撲は地域に人にとって、思い入れのある行事なんですね。

 

大関の試合は2回行われて、1回目は本気の闘い。
2回目は、1回目に負けた方の力士が勝ち、必ず1勝1敗の引き分けで終わるのだそうです。
これは、相撲大会の後に遺恨を残さないためだと言われています。

 

隠岐の古典相撲を題材にした「渾身」という映画も撮られています。

 

続いては、「隠岐郷土館」。
隠岐の島の資料館|隠岐の島町観光協会

 

外に丸太舟が展示されていました。

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「なんかちっさい丸太舟だな。縄文時代とかに魚をとるために使っていた舟の復元かなんかだろうな。」と思ってみていると、近くのパネルに「航海日誌」の文字が。
パネルをじっくり読んでみると、これがとんでもないチャレンジに使用された舟だったのです。

 

「 今から数千年前、隠岐と本土との間に交易があったことは、考古学上すでに証明されている。交易の中心となったものは、当時の人の生活に欠くことのできない石器の原料である隠岐島産の黒曜石であったと思われる。
 しかし、それがどのような方法で、どのような道をたどって本土に運ばれたかは、いろいろな説があるが今日まで解明されていない。
 昭和56年7月、松江市の小学校教員11名で組織した「縄文時代の一日を再現する会」(からむし会)が、丸木舟による、島後―島前―島根半島という海上の道があったとの仮説のもとに実験し、これに成功した。」
隠岐郷土館のパネルより

 

「成功した」ってさらっと書いてあるけど、これすごいですよね。
4人が漕いで、1人が舵取りして進んだようです。
この丸木舟と、このオールで。

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24日04:40に島前を出発し、その日の17:23に島根の港についています。
大波がかぶる状況でも、この小舟は極めて安定していたようです。
こんな企画よく思いつくし、実行力もすごいです。

 

隠岐郷土館」の外観です。

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明治18年隠岐の群役所庁舎として建てられたものです。

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明治時代のヨーロッパ様式を伝える建物です。

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これは「がしん俵」。

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がしんとは飢饉のことで、食料が豊富になかった時代は、度々飢饉が人々を襲いました。
特に海に隔てられた隠岐では、簡単に援助が受けられないため、ひとたび飢饉が訪れると大変なことになります。
そこで隠岐ではどこの家庭でも、この「がしん俵」を用意したそうです。
中身は稗(ひえ)で、長期間の保存がききます。
このがしん俵は天井の梁からつりさげて保存されていました。

 

「ダイナシ」と呼ばれる仕事着。
厚くて丈夫なため、山や海に行くときによく着られました。

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玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)の八百杉(やおすぎ)

 

次に訪れたのは、玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)
この島の開拓にかかわったとされる神・玉若酢命を祀った神社です。
本殿は「隠岐造り」と呼ばれる建築様式になっています。

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太いしめ縄を見ると、出雲大社をどことなく思い出します。
出雲の文化的な影響を受けているのでしょうか。

 

境内にある八百杉(やおすぎ)。
この杉、本当に大きいです。樹齢は2000年とも言われています。

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この杉は八百比丘尼(やおびくに)が植えたと伝えられています。
八百比丘尼は、人魚の肉を食べたことによって800年もの長寿を得たと言われる尼僧のことです。
杉を植えたときに根元の洞穴に大蛇が閉じ込められ、今での木の中から大蛇のいびきが聞こえてくると伝えられています。

 

日本に伝わる民話ってストーリが破天荒で奇想天外なものが結構あります。
そしてオチがないものが多い気がします。

 

境内の中には、「億岐家住宅(おきけじゅうたく)・宝物殿」があり、国指定の重要文化財となっています。

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億岐家は代々のこの神社の宮司を務められた家系で、今は社務所となっているようです。
隠岐国駅鈴」などの宝物を見せていただけます。

 

佐々木家住宅

 

佐々木家住宅は、隠岐島後の東側にある旧釜村にある古民家です。
国の指定重要文化財になっていて、「隠岐造り」と呼ばれる木造建築です。

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佐々木家は、この村で代々庄屋を務めた家柄です。
今は所有者から町に寄贈されていて、修繕費に2億円程度かかったのだそう。
入り口が3つもあって、身分によって入る場所が変えなければいけないというルールがあったようです。

 

入るとすぐに現れる囲炉裏。

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かまどです。
雰囲気がありますね。

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今でも予約をすれば、佐々木家住宅内で郷土料理を楽しむことができるそうです。

 

中は、畳部屋が7つくらい広がります。
前回り受け身したいくらい、途方もなく広いです。

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奥の間には、鎧や剣が飾られています。

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レプリカかと思ったのですが、どうやら室町時代の本物らしいのです。
聞くと、古文書なども数多く所蔵されているそうです。

 

隠岐の中心部から離れたこの村で、どうしてこのような貴重な文化財が眠っているのか。
それは、どうやら佐々木家のルーツと関係があるようなのです。

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佐々木家の先祖は、佐々木高綱(ささき たかつな)とよばれる人物で、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将でした。
そのルーツは近江にあります。

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高綱の末裔がどうして隠岐に入ったのかは不明ですが、そのよう経緯から、近代にはいっても佐々木家は中央と交流があったそうです。
そのため、多くの文化財がこの家に眠っているというわけです。
歴史のミステリーですね。

 

次回は、2年に一度しか見られない「水若酢神社(みずわかすじんじゃ)」の「祭礼風流(さいれいふりゅう)」というお祭りに参加します。
~その④~へ続く。