4日目の最終日は、引き続き観光です。
この日の最後は、隠岐三大祭のひとつ「祭礼風流(さいれいふうりゅう)」に参加しました。
祭礼風流は、水若酢神社で2年に一度しか開催されない祭りで、隠岐の風習が色濃く残っています。
那久岬(なぐみさき)
まずは那久地域にある那久岬(なぐみさき)。
展望台から、島前(とうぜん)の島々と灯台を眺めることができます。
ここには、明治末期から昭和初期まで活躍した、当時の灯台が現存しています。
毎日火を灯して、船の安全の道しるべとして重要な役割を果たしてきたそうです。
このあたりは、牛が放牧されています。
岬の先まで、気持ちのよい遊歩道が続いています。
これが、今使われている灯台です。
岬から振り返った景色です。
切り立った海岸の横に遊歩道が伸びている様子が、とてもきれいです。
放牧って山のイメージがあるので、牛と海岸の風景って、なんだか新鮮ですね。
油井の池(ゆいのいけ)
油井(ゆい)集落にある、「油井の池(ゆいのいけ)」に行きました。
「油井の池は、天然の池ですが、この池がどのようにできたのか、長い間、解明されることはありませんでした。近年の調査によると背後の山が削られて溜まった土砂の上にできた自然の池だとされています。」
隠岐ユネスコ世界塩パーク国立公園 (一社)隠岐ジオパークツアーデスク パンフレットより
油井の池の真ん中には、写真のような浮き島があります。
一見、陸地のように見えますが、枯葉などが集まって島状のものができているだけです。
周囲は遊歩道が整備されていて、池の周囲をぐるりと散歩することができます。
湿地と池の中間の性質をもつ油井の池は、近年まで水田として利用されていたそうです。
当時は小舟などと使って田植えをしていました。
水面が草に覆われている個所が多いので、水深が浅いように見えますが、実は枯葉などが堆積した見かけ上の水底で、人が入ると底なし沼のようにはまっていくそうです。
油井の池に関しては、恐ろしい伝説がいくつも残っていて、それは子どもたちをこの池に寄せ付けないための工夫だったようです。
油井集落
油井集落に立ち寄りました。
油井集落は背後には切り立った山があり、その反対側には遠浅の海が広がっています。
写真の真ん中には、那智の滝が見えます。
「前の洲と呼ばれるここのような平らな岩場は波食棚と呼ばれる地形で、冬の日本海の荒波に削られてできたものです。島後の西海岸の中でもここだけに、波の浸食に弱い、古い時代の地層が海岸に出ているためにこの様な大きな波食棚ができています。100mほどの奥行きがあるこの岩場の先は海中で急な崖になっています。」
島根県 看板より
かつては、この柔らかい砂岩を掘って、ウニの養殖をやっていたみたいです。
前回の記事「隠岐島後③ 隠岐の島を観光!玉若酢命神社の八百杉に不思議な伝説が」で、紹介したとおり、佐々木家が隠岐にきて、この島の有力者となるわけですが、当時この油井集落にも山城があったらしいのです。
背後を山で囲われているので、防衛上有利な地形だったのかもしれませんね。
どの方角を見ても絵になる集落です。
福浦トンネル
福浦トンネルは、柔らかい地層をくりぬいて造られた、海岸線沿いにあるトンネルです。
福浦トンネルの場所は分かりにくいのです。
車でうろうろしながら、この道かなと進んでいきます。
車を降りてパシャリ。きれいな海です。
ありました!福浦トンネル。
「立ち入り禁止」?
え~せっかくここまで来たのに~。と思いながら、とりあえず入り口に近寄ってみます。
約550万年前に噴火した際に積もった火砕岩をくりぬいています。
このトンネルは、大きく3つの年代にわたって掘られています。
1代目は明治初期(1870年代)、2代目は明治31年(1898年)、3代目は昭和50年(1975年)です。
明治時代は手掘りだったのが、昭和は重機を使って削っています。
近代以降の土木技術の変化を確認できるわけです。
ではあきらめて帰ろうかと思って、ふと横を見ると下に続く階段があります。
どれどれ少し降りてみるか。
なんかきれいな岩場に出ました。
ここは風呂ですか?と聞きたくなるようなくぼみ。
人工的に掘られたようにも見えます。
このあたりの一帯には、深いくぼみがたくさんあって、波の動きに合わせて水位が変わります。


頭を上げると、この風景。
トンネルがあります!
トンネルから見える風景は幻想的。
先にもあります。
振り返ると、こんな感じです。
島後の西側のこのあたりの地域は、断崖絶壁が多く、他の地域に移動する場合は、細く険しい山道か舟での往来が主だったようです。
移動が容易ではないという制限があったために、集落ごとの文化が保たれてきたともいわれています。
トンネルは移動をスムーズにするという目的で作られたわけですが、十分危ない気がします。
ここは本当に危ないところなので、立ち入るときは十分に注意してください。
水若酢神社(みずわかすじんじゃ)の祭礼風流(さいれいふうりゅう)
水若酢神社(みずわかすじんじゃ)にやって参りました。
この日は、隠岐三大祭のひとつ「祭礼風流(さいれいふうりゅう)」が行われるとのことです。
祭礼風流は、水若酢神社で2年に一度しか開催されないので、参加できたのは本当にラッキーだと思います。
流鏑馬に使われる馬でしょうか。
華やかな衣装をまとっています。
こちらは山車。
この山車につなげられた綱を、7歳ぐらいまでの男の子と家族が引いて歩くというものです。
「山曳き神事」と呼ばれています。
水若酢神社の境内にある土俵。
古典相撲の会場となる場所です。
華やかな行列が続きます。
この舞踊は迫力があった、本当にかっこよかったです。
天狗かもしくは鬼の面をつけて、槍をもって舞います。
フェリーの時間が迫ったので、途中で帰りましたが、流鏑馬は見たかったです。
後日、テレビをつけると、このお祭りがニュースで流れていて、ちゃっかり私も映っていました。
フェリーに乗り込みます。
小さくなっていく、隠岐の島。
楽しかったです。また来ます!
まとめ
今回は、隠岐島後(隠岐の島)をめぐりました。
全部で4日間の滞在です。
前半2日間は登山、後半2日間は観光というかたちでした。
1日目の高田山からの景色は最高で、都万の町が見下ろせました。
舟小屋が海辺に並ぶ姿は息を飲む美しさです。
また、牛突きの闘牛が散歩しているところに出会うことができました。
2日目は、隠岐の最高峰・大満寺山。
隠岐独自の生態系が色濃く残る場所で、神秘的な岩倉の乳房杉と出会いました。
壇鏡の滝は、流れ落ちる滝の裏側に回り込むことができます。
夜はジオリゾートシンフォニーで最高の夕食を食べテント泊を楽しみました。
3日目、玉若酢命神社の樹齢2000年の八百杉には、変わった伝説が残っていました。
隠岐の中心から離れた村にある佐々木家住宅には、源平合戦にまつわる歴史のミステリーが隠されていました。
そして、4日目最終日。
福浦トンネルは、想像以上の手作り感で、くぐるだけでなぜかアトラクション気分を味分えました。
最後は、水若酢神社で2年に一度しか開催されない「祭礼風流(さいれいふうりゅう)」に参加しました。
隠岐の島は、「ユネスコ世界ジオパーク」に登録されているだけあって、その地形が印象的でした。
独特な地形や生態系が作り出す自然の姿は美しくて、思わずカメラを向けたくなる個所がたくさんあります。
そして、そこに暮らす人々の文化もまた、ここでしか見られないものばかりでとっても新鮮でした。
今度は、島前(西ノ島、知夫里島、中ノ島)にも行ってみたいと思います。