島の山旅 第13弾は「島後(どうご)」です。
隠岐諸島は、島根県の日本海沖にある島々のことで、大きく島前(どうぜん)と島後(どうご)に分かれています。
島後は1つの島(隠岐の島町)のみで構成されています。
隠岐諸島は2013年には世界ジオパークに認定されています
(ジオパークとは、科学的に見て特別に重要で貴重な、あるいは美しい地質遺産を含む一種の自然公園のことです)。
隠岐では独特な地形が保たれていて、それが島のいたる箇所で確認できるとのことです。
また、本州から離れた海洋にあり、大陸と日本の中継地として、様々な文化が入り混じる場所でもありました。
今回、隠岐の自然と文化にふれたいと思い、島後へ向かいました。
そして、島後では、「高田山(たかたやま)」と「大満寺山(だいまんじさん)」の2つの山に登りました。
- 隠岐汽船「フェリーおき」に揺られて、西郷港へ。
- 「高田山」登山 概要
- 「高田山」登山 詳細
- 屋那の松原・舟小屋群をぶらり
- 「牛突き」のオス牛のお散歩
- 海洋スポーツセンター(都万野営場(つまやえいじょう))でキャンプ
- 食事処「炉端焼 青柳」へ
隠岐汽船「フェリーおき」に揺られて、西郷港へ。
隠岐汽船のフェリー乗り場です。
島根の七類港(しちるいこう)という港から出発します。
張り切り過ぎて、出発の約2時間前に着いてしまいました。
ほとんど人がいません。
乗り込むのは「フェリーおき」。
隠岐ほどの大きな島となると、さすがに船も大きいですね。
最大822名まで乗船できます。
出発1時間前にくらいになると、チケットが買えます。
チケット売り場が開いたので、さっそく並びます。
直前に思い立った旅で、しかもゴールデンウィークという時期だったので、レンタカーを借りることができませんでした。
しかたなく、車をフェリーに積み込むことにします。
「車を積みたいのですが。」
「それでは、車の大きさを教えてください。」
車の大きさを書きこみます。
「22450円です。」
「なるほど、往復で2万ちょっとか。まあ、レンタカー3日借りるとそれ以上するもんなあ。」と思って、チケットみると片道分。
往復で4万オーバー。
次は絶対にレンタカーを借りようと心に誓いました。
フェリーに乗り込みます。
2時間半ほどの船旅なので、一番安い2等室にしました。
じゅうたんが敷かれた大部屋で雑魚寝ができる感じです。
部屋の隅の方から順番に場所が取られていきます。
フェリーの中を一通り歩き回ってから部屋に入ったら、時すでに遅し。
ど真ん中のスペースしか空いてなくて、360度取り囲まれた状態で、なんだか落ち着きません。
島後が見えてきました。
ようやく上陸!
高田山の登山口を目指します。
「高田山」登山 概要
場所はこちら。
<登った山>高田山(隠岐島後)
<とき>2018年04月30日(月)
<メンバー>単独
<天気>晴れ
<ルート>高田神社→高田山山頂→高田神社
<距離>2km
<行程>
12:30 高田神社
13:30 高田山山頂
14:40 高田神社
コース詳細はこちらの資料を参照しました。http://www.nijinet.or.jp/Portals/0/pdf/yama100/sheet/023.pdf
「高田山」登山 詳細
登山口は見つかったものの、車を停める場所が全く見つかりません。
どうしようかとウロウロしていたら、庭仕事をしているおばあさまをいらっしゃったので声をかけました。
「すみません。この辺りで車を停められる場所ありませんか。」
すると、おばあさまは、ご自宅の駐車場に停めておいていいよと言ってくれました。
お礼を言って、車を停めさせていただきます。
12:30 高田神社
まずは高田神社にお参りします。
階段を上がっていきます。
その昔、地頭の娘が旧家に帰る途中、不思議な神楽の音に誘われて高田山へ入ったきり、帰ってきませんでした。
翌朝、頂上近くにある池のほとりで半狂乱になった娘が見つかり、その手にはご神体のようなものが抱きかかえられていました。
そのご神体を祀ったのが、この高田神社の始まりと言われています。
話がこわすぎます。
この高田神社は、1806年に建築され、建築様式は「隠岐造」です。
「隠岐造」は、隠岐でよく見られる神社本殿の建築様式で、隠岐の神社はりっぱな造りのものが本当に多いです。
登山口です。
細い登山道で、初めから坂が続きます。
シャガという花がたくさん咲いていました。
このシャガという花、実は古い時代に中国から渡ってきたと言われています。
種を作らないため、人の手によって広がったようです。
登山道は割と細く、歩きやすいとは言い難いです。
石に細かい亀裂がたくさん走っています。
ツツジがきれいに咲いています。5月ごろが見頃でしょうか。
ロープを使ってよじ登っていきます。
オオイワカガミの花の蜜を集めるマルハナバチ?でしょうか。
一気に展望が広がります。
ここからは都万の町が見渡せます。
田がきれいに整備されています。
ここまでくれば頂上まではあと少しです。
13:30 高田山山頂
高田山山頂に着きました。
残念ながら展望はありませんが、木々に囲われていてスペースもあるので、木陰の中でゆっくりすることができます。
昼食をたべてしばらくゴロゴロしました。
14:40 高田神社
同じルートを戻って、下山しました。
高田山は、結構登りごたえのある山でした。
下山したところで、おじさまが話しかけてきました。
高田山へ登ったのかと聞かれたので、「そうです」と答えると、「昔は小学生の遠足で登ったなあ」と言っていました。
高田山から隣の山に縦走できると聞いたのですが、後で地図を見てもそのようなルートはありませんでした。
地元の人だけが知っているルートがあるのかもしれません。
近くの売店に寄って、シュークリームを買い、車を停めされていただいたお家にお礼へいきます。
インターホンを鳴らすと、先ほどのおばあさまが出てこられました。
「これお礼です。」と言って、シュークリームを渡すと
「まあまあ、わざわざありがとう。でも1人暮らしだから4つは食べきれないわ。少し持って帰ってくださる?」
てっきりご家族で住んでいると思ったので、これは失敗。
しばらく玄関先でお話していると、おばあさまも登山が趣味で、昔は上高地なんかも行っていたとのこと。
しばらく、隠岐のことや、登山のこと、ご家族の話をしました。
「でもね、ここに住んで長いんだけど、実は地元じゃないのよ。」
「え、どちらなんですか?(本州とかに住んでたのかな)」
「出身は隣の村なの。」
「それはもう地元です」と言いたいのをぐっとこらえて、お別れしました。
最後にはわかめまでいただいてしまいました。
車停めさせていただいたうえに、結局こちらがお土産まで持って帰るという。
さっそく、隠岐の方の親切さに触れることとなりました。
屋那の松原・舟小屋群をぶらり
登山後は、屋那の松原や舟小屋群のあたりをぶらりとすることにしました。
「牛突き」のモニュメントがあります。
隠岐では闘牛が盛んで、地元では「牛突き」と呼んでします。
そのルーツは古く、1200年代にさかのぼります。
承久の乱によって、隠岐に流された後鳥羽上皇をなぐさめようと牛を闘わせたのが始まりと言われています。
これが舟小屋群。
奥に見える山が、先ほど登った高田山です。
岩肌が露出しているところは、溶岩でできた部分です。
この険しい山の崖の部分を縫うようにして、登山道がつくられているわけです。
懐かしい漁村の風景を見ることができます。
美しいです。
このように小屋の中に船や漁具が収められています。
「牛突き」のオス牛のお散歩
舟小屋群の近くを走っていると、巨大な牛と出会いました。
本当に大きくて迫力があります。
聞くと、牛突きのオス牛で、散歩が日課なのだとか。
牛は群れの中で順位付けする動物で、特にスイスなどの険しい山岳地域では、順位付けが生存するために重要になってくるそうです。
順位付けのときに行われる頭を突きあう習性を利用したのが「牛突き」です。
たしか左が、牛突きチャンピオンの牛。
右の牛よりも首がずっと太いのが分かります。
基本的に闘うのはオスですが、世界ではメスも闘わせる地域もあるのだとか。
日本では、隠岐の他にも、沖縄、徳之島、宇和島などが闘牛の文化が残っています。
ちなみに、隠岐の牛突きは、鼻綱をつけ、その綱を人がコントロールしながら闘うスタイルであるため、牛と人の呼吸が合わなければいけません。
海洋スポーツセンター(都万野営場(つまやえいじょう))でキャンプ
本日は、海洋スポーツセンター(都万野営場(つまやえいじょう))でキャンプです。
https://tourist-information-center-569.business.site/
設備も充実していて炊事場やシャワーなどもあり、なかなかきれいなキャンプ場です。シャワーが付いているのは、本当に助かります。
テントサイトは、海に面していて、夕日を眺めながらぼーっと過ごすことができます。
食事処「炉端焼 青柳」へ
この日の夕食は、地元の魚介類が食べられるということで、食事処「炉端焼 青柳」へ。
【貝を味わう】炉端焼 青柳 | 貝の王国 隠岐の島
大将が魚を下ろしている厨房を、カウンターがぐるっと囲うスタイル。
大将が小気味よく刺身をつくっていくのを眺めているのも楽しいです。
昔ながらの雰囲気で昭和の下町にタイムスリップしたような気分になれます。
もちろん刺身は新鮮で最高においしかったです。
次回は、隠岐諸島の最高峰 大満寺山(だいまんじさん)に登ります。
~その②~へ続く。