奥尻島の初日は、球島山に登り、フットパスなどを歩いて楽しみました。
その記事はこちら。
2日目は、「奥尻島津波館」で奥尻島で起こった津波の歴史を学びたいと思います。
ホヤ石の滝
前日は、岡本旅館に泊まりました。
この日も快晴です。
まずは、ホヤ石の滝を見にいきます。
田んぼが広がります。
奥尻島は、稲作ができるの離島北限だそうです。
明治時代から稲作が始まったそうですが、この寒さが厳しい土地でも米が育つってすごいですね。
行く途中にきれいな景気があったので、写真を撮りました。
これが、「ホヤ石の滝」です。
かなり水量が少ないようですが、この川で水力発電も行われているそう。
寒さの厳しくなる冬には、滝が凍ってしまうようです。
道路沿いに変わった巨岩があります。
奥尻島津波館
「時空翔」。
「北海道南西沖地震で犠牲となった方の慰霊碑。中央のくぼみは震源となった南西沖を向き、震災のあった7月12日にくぼみに太陽が沈む。「心と海と翼」を表現しており、下部の傷は波しぶきを表現しています。」
「観」青苗エリア/奥尻島の観光ガイド | 奥尻島観光協会
「徳洋記念碑」。
1993年7月12日午後10時17分。
発生した北海道南西沖地震は、マグニチュード7.8の規模で奥尻島に襲い掛かります。
地震によって津波や火災が発生し、198名の命が犠牲となりました。
犠牲者の中には、観光客の方もいたそうです。
館内を案内してくださった女性の方も、被災された方で、当時の様子を細かく教えてくださいました。
道が崩壊して消防車が入れなかったため、火が回るのをなかなか食い止められなかったそうです。
波で漂流した工事標識。
サハリン沖まで流された後、朝鮮半島に沿って南下し、兵庫県の日本海側沿いで発見されたものです。
奥尻島は、震災の教訓を生かした町づくりを行い、震災から5年後の1998年に「完全復興宣言」を出しました。
奥尻島津波館には、津波の情報だけでなく、古代文化ついても展示されています。
これが「丁字頭勾玉(ちょうじがしらまがたま)」。
昭和51年、青苗地区にある遺跡で発見されたものです。
3~6世紀の近畿地方で制作され、当時の社会で権威を示すシンボルとして扱われていたようです。
6~7世紀の奥尻は、北からオホーツク文化が渡来しており、さらに南から丁字頭勾玉をもたらした人々と交易をおこなっていたというのです。
この時代、すでに幅広い地域で文化の交流があったことが分かります。
土器なども展示されています。
道北地方の時代区分は、「縄文時代」→「続縄文時代」→「オホーツク文化」→「擦文時代」→「アイヌ文化」と続きます。
北海道では、本州とは別の文化が同時期に存在していたようです。
うにまるモニュメント
時間があったので、うにまる公園にある「うにまるモニュメント」を見にいきます。
このモニュメントは、奥尻を代表する「キタムラサキウニ」をモチーフにしていて、夜にはライトアップをしています。
奥尻空港
飛行機の時間が近づいてきたので、奥尻空港へ向かいます。
小さめのプロペラ機。プロペラ機での移動は離島あるあるです。
奥尻島が少しずつ小さくなっていきます。
奥尻島まとめ
今回は、2泊3日で奥尻島に滞在しました。
初日は天候が悪かったので、宿にこもっていましたが、残り2日は快晴でした。
2日目は、「オクシリブルー」と呼ばれるきれいな海を眺めながら、球島山、復興の森とフットパスを歩きました。
球島山は、頂上から360°見渡せる大パノラマ。
復興の森は、ブナが生い茂る静かな森。
そして、フットパスは海岸線沿いの道やブドウ畑など。
それぞれ違う魅力をもっていて、すばらしい景色をみせてくれます。
ただ、1つ1つのコースが短くて、それぞれ離れた場所にあるので、つなげて歩けないことが少し残念でした。
奥尻島は、面積も大きく、約8割が緑に覆われていて自然豊かな島なので、それぞれのコースをつなげてロングトレイルができれば、どんなにいいだろうかと思います。
3日目最終日は、「奥尻島津波館」を訪れ、地震や津波のこわさをあらためて知りました。
当時の様子を知る方から、直接話を聞くことができたのは、貴重な体験になりました。
多くの犠牲者を出しながら、震災から多くのことを学び見事に復興する様子を見て、人間がもつ強さを感じました。
奥尻島では、天候によりテント泊ができなかったので、次に来たときはぜひキャンプしたいと思います。
島内にいくつかキャンプできるところがあるので、それを周ってみるのもいいかもしれません。
あとは、「神威脇温泉」。
小さな漁港にある味のある温泉で、ここも次に訪れたときは行ってみたい場所です。